昭和41年11月13日 夜の御理解
今朝から、朝の御祈念に、吉井の熊谷さんが、参っておられて、お届けをされますことに、昨夜、あるこというのが、信心上のことでございます。どうもスッキリしないことがあるので、神様にお伺いをされて、どうぞ、御神夢の中にでも、私に分かりますようにお繰り合わせ下さいませというてから休まれたら、今朝から、二言に付いて、御神夢を頂いておられます。
これは特に例えば今日の十三日会なら、十三日会の方達が神様の心に添い奉りたい。せめて今日一日ぐらいはと言う信心が、こうしてもう何年間続けられて参られましたが、その事を具体的に下さった様に思うのです。どうぞ熊谷さんがお伺いなされた事も皆さん、皆さんの心で想像して見てください。又その事に付いても、皆さんの信心でどうぞ頂き貫いて、ここのところをはっきりして行かなければならんと思うのです。
丁度、熊谷さんのお宅の前に小さい、大体実際の上にも川がありますけれども、前に綺麗な綺麗な小川がでけておる、小川がせせらぎなんです。こりゃ丁度ここは、家の前に立派な川があるから、この汲み場、谷川のあるところは、汲み場と申します。洗い場でもあったり、飲み水をやっぱりそこから汲むわけですね。ですからここに汲み場を作ったらよかろうと思うて、その小川に下りてみるとですね。丁度あの石を持ってきたらと言うような、立派な四角い御影の石が上の方に置いてある。
やあ、あれをここんところに持ってくりゃ、立派な汲み場ができるなぁと、当初は思いよった。ところが私は足が痛いからと思うて目が覚めた。あの石をここに持ってくれば、汲み場ができるんだと。だから、あれをこう持ってこようと思うたけど、あぁほんに私は足が悪いからと思うておるところで目が覚めた。もう一つは、大きなお便所がある。まあ、ちょっとバラック建ての様であるけれど、まあ立派にでけておる、そして、中に入ってみたところが、何か、あそこが御広前のようになっておる。
そして、親先生と、秋永先生が、座っておられる。ところが、その戸を開けます時に、開けたり閉めたりする時に、大体その綺麗にできてはおるけれども、そのバラック建てだもんですから、もう戸がギイギイギイギイその喧しか、これやかましかちいよるところで目が覚めた。それやらこれやらをです。ははぁ、熊谷さんが、どういうようなことを神様に御神意を伺われたであろうか。
又は、次に教えておられることは、どういうことを熊谷さんに分かれというておられるであろうか。皆さん大体、想像がお付きになるだろうと思いますね。汲み場といや、限りなしに、お水を汲んでいけれるところなんです。また洗い物をしたりするところです。そこに、なら立派な汲み場ができる、そこにあそこに板場に御影石まで踏み場まで出けておるのだけれども。
ああほんに、私は足が悪い。そこに、汲み場を作るなら汲み場を作る。しかし、自分は足は悪くても何とかそこに、手立てを講じ、手立てを考えなければならない時ではないか。私、その事を神様お伺いしなさい、その事を聞かしてもらいよりましたらね、御心眼に頂きますことが、神と言う字を、くずして頂きました。神様の神という字をですね。あれは、ネ辺に、ネを崩してある。そして、申すと書いてある。
で私は思いました。それはね、今こう言うことを頂いたから、ただ寝ながら申しとるだけではいかんでしょうち言うた。ただ、じっとしてから、言うとるだけじゃいかんでしょう、それでは神にはなりません。やはり、その手立てを講じなければいけません。神様のことを一生懸命思う。思うとるその事が神様の機感に叶うことであろうけれども、思うておることが行に現さなければ。思うておることができん、自分にはできんことは、神様が足が悪いことは分かっとりなさるから、と言わずに。
足が悪うても、やはり、上にもう御影石はあるのだから、手立てを講じなければいけんじゃないか。その御影石が何の自分からここまでやってくるようなものが有るものか。寝ながら申したんではつまらん。思うておりますだけではいかん、手立てをこうじろと、私は言う事だと。熊谷さんもやっぱり、そういうふうに悟って居られたらしい。お便所といえば、ここ御結界のこと、藁くだりとは、椛目の御広前のことであろう。
例えばこうやって御理解頂きよりましても、それこそ煩わしいまでに、自動車が通る、単車が通る。テープを聞きよってから思うことは、もうほんとに、あの音が雑音が入らなかったら、さぞ良かろうごとある、だけではない、もう様々な近所隣りの、言うならば一つの喧しいまでにです。椛目に対するところの、まあ、この言葉は、非難やら分からないけれども、ごうごうたるものがある。
ここに私共が椛目から合楽に、そして合楽が合楽金光教合楽教会として、私がそこの教会長として教師の資格を取らして頂いて、あすこで信心の稽古をさせて頂く様になったら、誰が何という事も出来まい。いわばそうじゃない言いよった人でも、成る程と合点がいく事が出来るであろうそういう事の為にです。私共が今こそその手立てを講じなければならない時ではなかろうかと言うふうに感じるのです。これは熊谷さんが伺われた事も私共の願いとしておるところも、同じようなことだったではないかと思うのです。
それに対して、願ごうておることが一つもお陰にならん。おかげになったら、おかげ頂きまっしょじゃやいかん。御影石が、自分でここまでやってくるもんか。自分が足が悪いから、自分じゃ出来んから、というておらずにです、それこそ、人夫でも雇うてからでも、一つ足場を作る、踏み場を作らせて頂いて、いわゆる、汲み場を作らせて頂くことにならなければいけんのじゃなかろうか、というようなことを、私は熊谷さんの御神夢頂かれたということのなかから、色々感じたんです。
どうぞ皆さんもそれから感じて下さい。同時に分かって下さい。そして思うておるだけではいけません。寝ながらではいけません、寝ながら申しとっちゃつまりません。本当に私はもう、ここに前日の問題としてそれに取り組んで、自分の手立てでおえんごたるなら、これを、他所から持って来てからでも、私はここに汲み場を作る手立てというものがなされねばならん時ではなかろうかと言うふうに感じるのですね。
どうぞ。